ぼくが作ったタレント本のことは、このブログでずいぶん話してきました。ぼくがゴーストライターというか、構成者として名前をつらねた本のことも書いています。
じゃあ、吉村達也氏が「幽霊作家」になってくれた本のことも書き留めておきたいと思います。編集者はぼく、ゴーストライターは吉村さん、という本の思い出話です。もう時効だから、いいかな、と……。
そのころ、ぼくは編集プロダクション、吉村さんはニッポン放送の社員。当然ですが、アルバイトで仕事をしてもらったのです。
ちなみに、出版社はぜんぶ、ワニブックス。担当編集者は浜口さん。彼も鬼籍の人となってしまいました。僕より若かったのに。悔しいね。辛いけど、どうしようもない。
最初の幽霊作家は、某有名女優。これは完全なゴーストライティングでした。どういうことかというと、本人が書いたことになっている短編小説のスタイルだったからです。1983年だったかな。
その後、コマーシャルでデビューした女子大生タレント、ハワイ出身のアイドルの幽霊作家。こちらは、ぼくが本人にインタビューして、テープ起こしの原稿を吉村さんに渡しました。面白かったみたいですよ、吉村さんにとっては。
そして、もう一冊。ロックシンガーであり、俳優でもある男性の幽霊作家もお願いしました。こちらは、最初の原稿を男優が気に入らず、ライターを変更してイントロだけ書いたところで、出版社から僕に改めて仕事の依頼があり、吉村さんにゴーストライティングをお願いしたのです。
それまでの原稿はすべて白紙にもどして、ぼくが男優に改めてインタビュー。高輪プリンスホテルの和室で、長時間、話を聞きました。
そして、原稿が完成。プロローグ以外は、吉村達也の筆によるものです。手書きの原稿だったんじゃないかな……。
その原稿を著者である男優といっしょに読んで、検討しようということになりました。再び、高輪プリンスの和室で、男優とふたり、最初は彼が読んでいったのですが、思わず立ち上がって、
「かっこいいじゃん! いいよ、これ! 最高!」
そこには、役者の顔をした男が嬉しそうにして、ぼくを見つめていました。そのあとは、まるで自分が書いたかのように、興奮する彼。読み合わせは一度でOK。
この本は、週刊現代かなにかの書評で、絶賛されました。本が出来上がったとき、吉村さんが「プロローグも書き直せばよかった」と残念がっていたのが印象に残っています。完璧主義の作家ならではの言葉だったなあ、と懐かしく思い出しました。
この4冊だったかな、アルバイト幽霊作家として仕事をしてもらったのは……。1983年の1年間で、ぼくが編集担当をした、吉村達也の幽霊作家は終わりを告げます。
その後は、扶桑社で無給の幽霊作家を何冊かやってましたね。編集長自らが、ゴーストライターになってしまうというのも、珍しいのではないでしょうか。
ぼくが作家にならなくてよかった、と思わされたのは、吉村さんで三人目。
前にも書きましたが、一人目は矢作俊彦氏、二人目は関川夏央氏です。吉村さんより少し上で、ぼくと同世代の二人が、いまでも第一線で活躍しているのを見るにつけ、吉村さんはあまりにも若すぎる旅立ちだった、と改めて思わされました、合掌。
編集長 Hideo.K
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