2012年8月22日水曜日

吉村達也さんの遺作「ヒマラヤの風にのって」

吉村達也さんが天国に旅立ってから、早いものでもう3ヵ月以上が経ちました。神田駿河台の杏雲堂病院に入院していた22日間、ほとんど毎日会っていて、扶桑社でいっしょに仕事をしていたとき以来のこと。


この遺作となった本は、入院したとき、すでに吉村さんの頭の中に構想があったようです。口述筆記をしてでも出したいから、書いてくれませんか、と病床で依頼されたました。


ところが、3回ほどインタビューしたあとで、吉村さんが急に「書けるところまで自分で書きたい」と言うのです。思わず「大丈夫?」と聞き返しました。

吉村さんは笑いながら、「少なくても最初くらい自分で書かないと、ダメだと思った」と答えました。

僕に話してくれたことも含めて、時系列的に最初から書きはじめた吉村さんを見ていると、本当に作家が天職なんだなあ、と思ったものです。


毎日、PCでなく、手書きでノートに書きつづけていきました。ぼくが、処女作「Kの悲劇」も手書きの原稿を読ませてもらったね、と言うと、

「最初と最後は、手書きで書いた、っていうのは、いいね」

この「ヒマラヤの風にのって」の第1章と第2章は、吉村さんが書いた手書きの原稿を、娘さんが清書して、ぼくがPCで打ちました。不思議な思いでした。


きっと、書くことで自分を元気づけていたのだと思います。入院したときは、すでに手遅れで、手のほどこしようがない状態でした。たくさんの管につながれたなかで、それでも書きつづけた吉村さん。

見本が手元に届いたとき、そこにいるはずがない吉村さんに向かって、思わず「いい本になったでしょ」とつぶやいていました。まだ、信じられない日々がつづいています。一度、夢枕に現れて「がんばってる!」と言った吉村さん。安らかにお休みください。

思い出話はしない、と病床で言っていた吉村さんに逆らって、ふたりで作った本のこと、いっしょに行った旅の話、実現できなかった企画のこと……など、このブログで書いていきたいと思っています。いいよね、吉村ちゃん。

じゃあ、また。

編集長 Hideo.K

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