このときから盟友・横内氏は、取締役でワニブックスを実質的に仕切っていくことになります。
編集の濱口くんもワニブックスへ移ったので、彼とは一緒によく仕事もしたし、酒も飲みました。
事務所はたしか南青山で、青山通り添いのマンション。僕の事務所も南青山で、骨董通りにあったので、ランチもよく食べたし、つるんで遊ぶには好都合でした。
ワニブックスの「青春ベストセラーズ」の第一弾として作った女性アイドル本は、大場久美子「素顔のままで」だったと思います。1980年2月発売でした。
この「青春ベストセラーズ」のシリーズを振り返ってみたいと思います。
僕にとって、大場さんの本は2冊目。サブタイトルに「さよならありがとう」とあるので、これが引退記念だったように記憶しています。
ただ、どんな話を聞いたのか、どんなことを書いたのか、どんな写真を撮ったのか……まるで覚えていません。ごめんなさい、です。すごく急いで作って、タイトルもあわてて決めた、ような気がします。
この「青春ベストセラーズ」シリーズは、四六版ソフトカバーのフォト&エッセイ集。当時は、ワニブックスの目玉商品でした。
次が、同じ年の12月に作った三原順子(当時は名前が漢字だった)「片恋いのラブレター」。撮影は、まだブレイクする前の野村誠一カメラマン。マネージャーが杉義一さん。
杉さんのお父さんは、杉狂児さんという役者だったので、杉さんのことはなぜか記憶に残っています。
異色なところでは、漫才コンビのザ・ぼんちの「王様の耳はロバの耳」と「恋のタネあかし」と、2冊作りました。立派なアイドル本です。1981年3月と7月の発売。
武道館をいっぱいにするほどの人気で、レコードも発売していて、取材する時間がまったくありませんでした。撮影の合間に話を聞いたような気がします。あとは……。
甲斐智枝美「恋の気分はCチック」1981年8月発売。こんなタイトルに決めたとは……まったく記憶にありません。恥ずかしいですね、このタイトルは。
智枝美ちゃんはほんとうに性格のいい人でした。若くしてお亡くなりになってしまい残念です。
そう言えば、写真集のコピーライティングをした堀江しのぶさんは、もっと若くに亡くなってしまいましたね。彼女もほんとうに可愛い人でした。
いまネットで資料をチェックしながら書いているのですが、この年は、石川優子「夢色気流」9月、松田聖子「もう一度あなた」10月、伊藤つかさ「見つめていてね」12月、と立て続けに作っています。
そして、翌1982年2月には榊原郁恵「郁恵の季節」2月、松田聖子「夢で逢えたら」5月、とつづいていきます。
まるで、ワニブックスの社員のような働きぶりですね。
松田聖子さんの本は「夢で逢えたらPART2」を1983年の3月に作りましたし、そのあとも海外ロケの仕事をしました。これは話が長くなりそうなので、またいつか別項で。
その年の8月に斉藤慶子「ひとり胸騒ぎ」、翌年の2月に早見優「フロム・優・トゥ・YOU」と作って、ワニブックスでの「青春ベストセラーズ」シリーズの仕事は終わったのかな……。
もう35歳になる年でしたからね、1984年は。
僕がインタビューして、ライティングは違う人に頼んだこともありました。彼はいまや著名な作家になっています。そのころはアルバイトで引き受けてもらいました。
懐かしいですね。忙しかったけど、間違いなくHAPPY DAYSでした。
そう言えば、濱口くんと酒を飲んで酔ってくると、いつも「35歳になったら、アイドル本は引退する」と言っていたような気がします。
それなのに、1985年にはいまのAKBのような人気だったおニャン子クラブとどっぷり仕事をすることになるのですから、人生一寸先は闇というか、わからないものです。
ノアズブックス 編集長 Hideo. K
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