ペップ出版では、本当にたくさんの本を作りました。
いわゆる「タレント本」と呼ばれるジャンルの本が多かったけど、その中でも印象深い一冊が、小林麻美さんの本。
きっかけは確か、彼女がオールナイトニッポンのパーソナリティをやっていて、その番組の担当ディレクターから紹介されたんだと思います。
だから、初対面はニッポン放送のスタジオでした。1975年だったかな……。
火曜日の1部(深夜1時から3時)だったと思うのですが、なぜか、僕はひとりスタジオの外で番組を聴いていて、東ディレクターが彼女を紹介してくれたのは、番組が終わってからだったような気がします。
どうして番組が始まる前に紹介してくれなかったのか、謎でしたね。
僕がずっと待ってたことを知った小林麻美さんは、とても恐縮して、何度となく「ごめんなさい」を言っていたのを覚えています。
第一印象は、綺麗でしたね、やっぱり。
どうやって本を作っていきましょうか、という話になり、彼女から「自分で書いてみたい」と言われて、正直、驚きました。
タレント本のほとんどは、インタビューして、いわゆるゴーストライターの人が原稿に仕上げる、というスタイルだったからです。
僕自身もその後、編集者兼構成者(ライターのことをこう表記することが多かった)として、多くの本を手掛けることになりますが、ご自分でお書きになったのは小林麻美さんが初めてです。当時、彼女は22歳。
それから毎週のように、番組の始まる前に打ち合わせというか、彼女の原稿をもらうためにニッポン放送へ行きました。
事前に渡してあった200字詰めの原稿用紙に、ブルーの文字が踊っていたのが印象的でした。
エッセイのような、小説のような、詩のような……不思議な魅力を持った文章でした。
言葉遣いのおかしなところを直しただけで、彼女が書いた原稿はそのまま一冊の本となりました。1976年のこと。
池袋の東武デパートで写真展とサイン会、銀座の旭屋書店でサイン会。
この銀座旭屋前の路上で、彼女に1曲歌わせるという、いま考えると恐ろしいことをさせてしまったのは、若気の至りというか、怖いもの知らずというか……ほんと、ごめんなさい、です。
こんな無礼な奴だったのに、小林麻美さんとマネージャーの小野沢さんは、僕のことを信頼してくれて、彼女が出版する本はいつも何らかの形で関わっていくことになります。
そして、彼女との不思議な縁は、僕が30歳の時に結婚した女性にもつながっていきます。
僕が結婚することになった女性と彼女は、なんと中学・高校の同級生だったのです。こんな偶然があるものなんですね、人生には。
僕の結婚は13年間でピリオドとなるのですが、いま思い出しても不思議な縁を感じてしまいます。
小林麻美さんとは、もう20年近く、お会いしていません。元気でいると、風の噂には聞いています。いつか同窓会をやりたいものです。
いい時代のHAPPY DAYSを過ごした仲間の一人だと、今でも勝手に思っています。
ノアズブックス 編集長 HIDEO K.
いわゆる「タレント本」と呼ばれるジャンルの本が多かったけど、その中でも印象深い一冊が、小林麻美さんの本。
きっかけは確か、彼女がオールナイトニッポンのパーソナリティをやっていて、その番組の担当ディレクターから紹介されたんだと思います。
だから、初対面はニッポン放送のスタジオでした。1975年だったかな……。
火曜日の1部(深夜1時から3時)だったと思うのですが、なぜか、僕はひとりスタジオの外で番組を聴いていて、東ディレクターが彼女を紹介してくれたのは、番組が終わってからだったような気がします。
どうして番組が始まる前に紹介してくれなかったのか、謎でしたね。
僕がずっと待ってたことを知った小林麻美さんは、とても恐縮して、何度となく「ごめんなさい」を言っていたのを覚えています。
第一印象は、綺麗でしたね、やっぱり。
どうやって本を作っていきましょうか、という話になり、彼女から「自分で書いてみたい」と言われて、正直、驚きました。
タレント本のほとんどは、インタビューして、いわゆるゴーストライターの人が原稿に仕上げる、というスタイルだったからです。
僕自身もその後、編集者兼構成者(ライターのことをこう表記することが多かった)として、多くの本を手掛けることになりますが、ご自分でお書きになったのは小林麻美さんが初めてです。当時、彼女は22歳。
それから毎週のように、番組の始まる前に打ち合わせというか、彼女の原稿をもらうためにニッポン放送へ行きました。
事前に渡してあった200字詰めの原稿用紙に、ブルーの文字が踊っていたのが印象的でした。
エッセイのような、小説のような、詩のような……不思議な魅力を持った文章でした。
言葉遣いのおかしなところを直しただけで、彼女が書いた原稿はそのまま一冊の本となりました。1976年のこと。
池袋の東武デパートで写真展とサイン会、銀座の旭屋書店でサイン会。
この銀座旭屋前の路上で、彼女に1曲歌わせるという、いま考えると恐ろしいことをさせてしまったのは、若気の至りというか、怖いもの知らずというか……ほんと、ごめんなさい、です。
こんな無礼な奴だったのに、小林麻美さんとマネージャーの小野沢さんは、僕のことを信頼してくれて、彼女が出版する本はいつも何らかの形で関わっていくことになります。
そして、彼女との不思議な縁は、僕が30歳の時に結婚した女性にもつながっていきます。
僕が結婚することになった女性と彼女は、なんと中学・高校の同級生だったのです。こんな偶然があるものなんですね、人生には。
僕の結婚は13年間でピリオドとなるのですが、いま思い出しても不思議な縁を感じてしまいます。
小林麻美さんとは、もう20年近く、お会いしていません。元気でいると、風の噂には聞いています。いつか同窓会をやりたいものです。
いい時代のHAPPY DAYSを過ごした仲間の一人だと、今でも勝手に思っています。
ノアズブックス 編集長 HIDEO K.
あなたでしたか~、この本を出版して下さったのは。私はデビューの頃からの小林麻美さんのファンで、この本を今でも読み返したりしていますが、青春時代のあの頃を鮮明に想い出させてくれます。この本を世に出して下さって有り難うございました。
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