2011年6月19日日曜日

フジテレビ出版「世紀末クイズ」

1990年、吉村達也さんが扶桑社を辞めて、専業作家になりました。僕より先に扶桑社を辞めないで、とおねがいしていたのに……。
片岡社長から「編集長で来いよ。将来の役員含みで」という有り難いお話をいただきましたが、家庭の事情もあり、扶桑社の状況もあり、お断りしました。

この年はどんな本を作ったのか――。調べてみても、毎年恒例の「ビートたけしのその男幸せにつき」以外には、伊集院光のオールナイトニッポン編の「芳賀ゆい写真集」(斉藤清貴くんに撮影してもらいました)くらいしか出てきません。
三菱自動車のリクルートビデオを作ったり、ビートたけしさんのタレントショップのグッズを作ったりしていましたが……。

そして翌年の1991年8月に発売された「世紀末クイズ」が、扶桑社で出版プロデューサーとしての最後の仕事になりました。


フジテレビの「笑っていいとも」で「タモリ・ウッチャンナンチャンのそれ絶対!やってみよう」というコーナーがあり、なにかクイズ本を出そうという話が持ち上がりました。
放送作家の大岩賞介さんと打ち合わせをしたような記憶があります。扶桑社の担当編集者は、熊谷美智世さん。

ところが、いざ本作りに入ると、番組では面白いクイズが集まりません。ここが、テレビとラジオの違いなのでしょう。
仕方がないので、扶桑社を辞めて独立して編集プロダクションをやっていた白崎くんに助っ人を頼みました。「ナゾダス3000」を作ったとき、彼のクイズ作りの才能を知っていたからです。

第1問は「ちょうしょくは6じ、おやつは3じ、ではゆうしょくはなんじ?」というような問題だったと思います。手元に本がないので、不確かですが……。
答えは簡単。「じ」は「時」ではなく「字」のこと。でも、これに気づくかどうか。高学歴だからといって、できるとは限りません。そんなクイズばかりを集めたのが「世紀末クイズ」です。

何年か後に流行った「サルヂエ」は、この「世紀末クイズ」が原点です。なぜなら、あの「サルヂエ」が生まれるきっかけとなった企画書は、僕がワニブックスへ提出したものだからです。
「世紀末クイズ」が1991年、「サルヂエ」が2004年。まさに、10年ひと一昔で、流行は回ってくるのです。またクイズブームがきますね、きっと。

僕が中学生のときに覚えた、あの「ブラックアート」も載せました。「黒の芸術」ではなく「黒のあと」が答えになる意地悪クイズです。

こんな問題もありました。の中に言葉を入れてください。
ブン
□□ブン
□□□ブン

意地悪クイズでは「基本数クイズ」「いいうさぎさん悪いうさぎさん」「日本の文化クイズ」などなど。
「あるない」クイズもやりましたね。これは日本テレビの「マジカル頭脳パワー」でやっていた「あるなしクイズ」と同じ。
「仲間はずれクイズ」もありましたね。「城 金 奈良 寺 まんじゅう」で仲間はずれはなに?
答えは「奈良」。あとは頭に「お」が付きます。「お奈良」とは言わないでしょ。「オナラ」とは言うけど。

この本が、僕が作った本でもっとも売れた本になりました。100万部を超えたのではなかったでしょうか。
本が発売になってすぐ南仏に3ヶ月ほど行っていたので、正確なところは覚えていませんが……。そのあいだに続編の「世紀末クイズ2」が、僕抜きで制作されたのをみても、売り上げがすごかったと推測できます。

久しぶりに自分が好きな本を作った、という思いがありました。41歳の最後に作った本が、僕の40代の本作りを決めたのです。
HAPPY DAYSのあり方が少しずつ変わっていくように、本作りの方法も変わっていきました。好きな本を作ろう、と。


ノアズブックス 編集長 Hideo. K

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