2011年7月1日金曜日

アミューズの子会社として「藝神出版社」設立

TBSラジオ「ミッドナイト☆パーティ」の波紋は大きかったですね。なかでも、大親友のニッポン放送・宮本幸一さんから「冷たいじゃない」と言われたのが一番ショックでした。
いまでも、この企画はよかったと思っていますが、実際に番組を作るのは放送局のディレクターの人たちです。彼らの力が未熟だったことは否めません。
もう少し頑張っていたら、おそらくTBSで出版社を設立していたような気がします。僕だけの戯れ言かもしれませんが……。

1996年1月、アミューズの100%出資の出版社、藝神出版社を設立しました。代表取締役社長に就任。扶桑社を退社していた磯俊宏くんが取締役として参加してくれました。
立ち上げ時は、僕を入れて総勢7人。希望に燃えた船出でした。アミューズはコンテンツの宝庫だと思っていました。

出版社を設立して最初にやる仕事は、取り次ぎ会社との販売契約を結ぶことです。トーハンと日販が二大大手。
アミューズは当時、アミューズビデオという子会社があり、その関係で日販を紹介してくれました。

出版社というのは、書店と契約を結ぶのではなく、取次店を通して書店に本を流通してもらうシステムになっています。
取次店との契約がなければ、書店に本は流通できないのです。一軒ずつ書店を回って、本をおいてもらう交渉をすれば別ですが……。
あとは、すでにある出版社の口座を借りて、販売委託する方法もありますが、僕たちは藝神出版社独自の口座を持とうとしました。

日販との交渉はまったく問題なく終わり、その結果をもってトーハンを訪ねました。紹介者は扶桑社の営業にいた土屋さん。
ところが、トーハンの態度は冷ややかなものでした。条件交渉は決裂。再度、日販へ。
これを繰り返したのですが、最終的にはトーハンの言いなりの条件を飲むしかありませんでした。

詳しくは書きませんが、出版社と取り次ぎの条件は、それぞれの出版社で違っていて、新規参入の場合は卸率が低く設定されるだけでなく、委託分戻しを要求されてしまいます。しかも、委託の精算は6ヶ月後。
零細出版社が資金繰りで苦労するのは、この取り次ぎのシステムがあるからにほかなりません。ベストセラーを出せば問題ないのですが……。

当時、アミューズが中国への進出を視野に入れていて、そのときの社名である「藝神集団」から名前をいただいた「藝神出版社」は、HAPPY DAYSの実現を目指して船出しました。

ノアズブックス 編集長 HIDEO K.

0 件のコメント:

コメントを投稿