2011年6月9日木曜日

タレント本ばかり作っていたあの頃

鶴光さんのオールナイトニッポンでは、いろいろな人と知り合いになりました。いまでも親友の宮本幸一さん、及川伸一さん、佐藤輝夫さん……などなど。

ラジオ関係や音楽関係の、出版とは違う世界の人たちと知り合えたのは、幸運だったと思います。

そう言えば、鶴光さんの前の番組「足かけ二日大進撃」(こんなタイトルだったと思います)の構成は、いまをときめく秋元康さんでした。いつも、番組ぎりぎりまで原稿を書いていたのを覚えています。

あのときは、アッキーがこんなにすごくなるとは思いもよりませんでした。その後も、おニャン子で一緒に仕事をしましたが、策略家であり、戦術家ですね、彼は。

その中で「ペップ出版に入りたい」という男性が現れたのです。

当時、オールナイトニッポンで鶴光さんのアシスタントをしていたのは、美詩えるさんという可愛いシンガーソングライター。

彼女の実家が僕の住んでいる妙蓮寺の隣の白楽というところだったので、よく一緒にタクシーで帰りました。

彼女のマネージャーをしていたのが、渡辺プロダクションの関連会社にいた横内正昭氏でした。
彼は京都出身で、宮本ディレクターの前のディレクターだった鈴木隆さんと仲が良かったからか、番組にも時々、顔を見せていたのです。

その横内氏が「ペップ出版に入れてくれないか」と、僕に言ってきたのです。

二つ返事でOKして、社長に報告すると、社長は当時、プロダクションも経営していたものだから、二つ返事でOK。

ということで、ペップ出版に入社したものの、横内氏の最初の仕事は、その事務所に所属している女性デュオのマネージメントだったと記憶しています。

それは長続きせず、横内氏は渡辺プロダクションにいたコネクションを使って、タレント本を矢継ぎ早に決めてきました。
編集担当はもちろん、僕です。歳は僕が1つ上ですが、給料は同じ。

こうして、彼がプロダクションとの窓口になり、僕がその本の編集、というコンビが誕生しました。当時の出版社としては、珍しいシステムだったと思います。

どんな本を作ったかというと、順不同で挙げてみると、太田裕美の「まごころ」、アグネスチャンの「また逢う日まで」、西川きよしの「ただいま奮戦中」、竹下景子の「水中花」、西城秀樹の「君におくろう僕の愛を」、文化放送の「キャンディーズ革命」、草刈正雄の「空が少しずつ」、木之内みどりのエッセイ&写真集、アン・ルイスの「おしゃれ泥棒」……などなど。


横内氏ともよく仕事をし、よく遊びました。
彼は「バカヤロー!」「ふざけんな!」が口癖の、ちょっと昔風の芸能マネージャーの一面を持っていました。

いま、横内氏はワニブックスの社長ですが、鶴光さんの番組がなければ、おそらく僕とは出会っていなかったと思うと、人生は縁ですね。

こうして横内氏とは、1976年から僕がペップ出版を辞める1978年まで、本当にたくさんのタレント本を作りました。

その後も、彼がワニブックスを立ち上げたときにも、多くの本を手伝わせていただきましたし、5年前にはアミューズを辞めた僕をワニブックスの役員として迎えてくれ、去年の11月まで一緒に仕事をしていました。不思議な縁です。数少ない戦友の一人です。

HAPPY DAYSはやはり、人との出会いがもたらしてくれるものですね。僕は彼の会社を辞めましたが、電子書籍でいつの日か、お手伝いができることと確信しています。

ノアズブックス 編集長 HIDEO K.

1 件のコメント:

  1. 横内さんのお名前もよくオールナイトで聞きましたよ。

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