2011年6月9日木曜日

国広富之「風吹く街角で」

仕事のしすぎか、酒の飲みすぎか、おそらく後者でしょうが、体調を崩して1ヶ月間、会社を休むことになってしまいました。長期療養です。

といっても、別に入院したわけではなく、自宅でゴロゴロしていただけ。それも退屈なので、大阪のおじさんのところへ遊びにいきました。

そのときに、いろいろと考えましたね。仕事のこととか、結婚のこととか……。

給料は悪くなかったけど、貯金はゼロ。将来の生活設計など、考えたことがありませんでした。それなのに、体調を崩したとたん、あれこれと思い悩むのは、まさしく凡人ならでは、です。

「会社をやめよう」と決意するまで、そう長い時間はかかりませんでした。



当時、よく仕事を一緒にしていた編集プロダクションがありました。原田英子さんと鳥居幹夫さんの二人でやっている、ルイス・イッセイという会社です。

アン・ルイスの「おしゃれ泥棒」やピンク・レディの「1001のピンクレディ」などを原田さんと一緒に作っていて、歳も同じだし、鳥居さんはビートルズの訳詞家として名のある人でした。

そんな二人のやっている会社が、とても魅力的に見えたのです。出版社より、編集プロダクションの方が自由だ、と思えたのです。

隣の芝生はきれいに見える、の典型かもしれませんが、チャレンジしたい気持ちが強くなってしまい、ペップ出版を退社することにしました。

松崎社長に告げると、ムッとするようなことを言われた記憶があります。ここで書いては男がすたるので書きませんが……。

ペップ出版を辞めて1年近くたってから、濱口くんという編集者から電話があり、僕に仕事を頼みたい、と言うのです。

濱口くんは僕と入れ替わるようにして、ペップ出版へ入った人で、一度か二度、酒を飲んだことがあっただけ。それなのに、仕事を頼みたい、と言ってきてくれたのです。
嬉しかったですね、これは。

その本が、国広富之さんの「風吹く街角で」というフォト&エッセイ集。

自分としては20代最後の年でもあり、力を入れて構成したのを覚えています。

男性タレントの本は、同性ということもあり、どうしても自分と比べる部分が出てしまうので、これまではあまり手掛けてきませんでした。
女性なら、少女コミックのように考えればいいので、わりとすんなりと入っていけるのですが……。

撮影は、国広さんの故郷である京都でおこないました。インタビューも同時にしたのかな、よく覚えていません。

国広さんで印象に残っているのは、東京の千鳥ヶ淵にある「金と銀」という店で、すき焼きを食べたときのこと(この店はもう閉店しまっています)。

仲居のお姉さんが、すき焼きを作ろうとすると、国広さんが「そうじゃないんだよ、すき焼きは」と言うやいなや、自らすき焼きを作り出したのです。

「すき焼きは云々……」と講釈を交えて、関西風の作り方で、お肉から焼いていきました。
20代半ばの男性が、すき焼きの作り方にこだわるのを見て、奇妙な感覚にとらわれたのを覚えています。

こういう一面を知ることが、本作りにもいかされると思いました。やはり、一緒に飲んだり、食べたり、遊んだりしない、と。

そんな話を編集の濱口くんとした記憶があります。

濱口くんとは、性格もまったく違うけど、なぜか気が合って、その後、いい付き合いが長く続きました。彼が50代で、この世を去ってしまうまで。

どうも昔の話を書いていると、つい亡くなった人のことばかり思い出してしまいます。特に、HAPPY DAYSを共に過ごした人のことは、すぐ脳裏に浮かんできてしまうのです。

また、何度となく、濱口くんのことは書くことになりそうです。

こうして思い出すことで、濱口は僕の中でまだ生きているのです。今宵、月光の下で酒を飲む。

ノアズブックス 編集長 HIDEO K.

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