2011年6月9日木曜日

はらたいらさんのハードカバーの漫画本

1976年最初の本は「新・かやくごはん」。鶴光さんの3冊目の本です。

毎週の鶴光さんのオールナイトニッポンは、ノーギャラでも皆勤賞。いつのまにか、放送作家のようなことまでやっていました。
宮本ディレクターが、すぐに「このコーナー、なんかオモロイの書いて」と言うものだから。ついつい。

この頃は彼女もいなかったから、よく会社に寝泊まりしました。横浜までタクシーで帰ると、けっこうかかるので、経費節減です。

でも飲んだときはつい、気が大きくなったり、川崎方面で途中下車したり、タクシーで帰ることがありました。独身貴族(?)でしたね。

鶴光さんとはよく飲みましたね。東京の定宿は、赤坂のシャンピアというホテル。ここで待ち合わせて、赤坂、六本木、新宿、銀座……。

面白いエピソードはたくさんありますが、書けない話ばかりです。鶴光さんの奥さんは、かなり疑っていたみたいですけどね。

本当に、よく飲んでいました。と同時に、よく本も作っていました。

漫画家のはらたいらさんの本を出したのも、この頃じゃないかな。
ハードカバーの豪華本。はらさんが「家宝にする」と喜んでくれたのを覚えています。

「新かやくごはん」にも、はらさんの書き下ろしの漫画が載っていますが、鶴光さんを紹介したのは、僕だったのかなあ。これはよく覚えていません。

三人でもよく飲みました。はらさんも鶴光さんも強くて、これで酒を鍛えられたのかもしれません。

はらたいらさんは、良き兄貴という感じで、一時期、ほとんど毎晩のように飲んでいた気がします。もちろん、全部、はらさんのおごり。

はらさんは朝から夕方まで仕事して、その後は毎晩、夜の町へ繰り出す、というスタイル。仕事場も自宅も茗荷谷でしたので、ほとんど新宿で飲んでましたね。

「クイズダービー」に出演するときは、マネージャーのようにして付いていったことが何回もあります。もちろん、その後、飲みに行くわけですけどね。

一緒に旅行もしましたね。僕の知り合いのために、京都のある女子大の講演会をOKしてくださり、そのギャラを一晩で飲んで、さらに足が出てしまったこともありました。

ハワイへ行ったときは、お金を払おうとすると、きっぱりと「僕の方が稼いでいるんだから」と、僕にはいっさい払わせませんでした。

酒もあれも何もかも強くて、高知生まれの豪快な男です。大好きな先輩でした。

そうそう、僕がペップ出版を辞めてから、はらさんのエッセイ集を講談社で出しました。
タイトルは「愛を旅する人へ」でしたが、このタイトルを恥ずかしがって、最後まで反対していたのを思い出します。

この本は大ベストセラーになり、また祝杯。まさに、HAPPUY DAYSでした。

そのはらたいらさん、本名・原平。最後までタバコを辞めずに、頑固一徹さを示した散り際でした。天国でもきっと、タバコを吸って、酒を飲んで、あれして、これして。

酒飲み友達がいなくなるのは寂しい限りです。あえて、友達と言わせてください。まだまだ語り合いたいことがたくさんあったのに……。

あの頃の新宿もいまはなく、共に飲んだ人たちも一人去り、二人去り……。ただ、時だけが過ぎていきます。合掌。

ノアズブックス 編集長 HIDEO K.

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