アルバイトでタウン誌の編集をやっていたとはいえ、単行本など作ったことはありません。準備といったら、とにかく「基本・本作り」とかいう分厚い本を何度となく読んだだけ。不安だらけのスタートです。
この出版社に入って、まず驚いたのは編集者がひとりもいなかったことです。
外部の編集プロダクションと契約の編集者を、社長自らが率いて本を作っていたのです。その社長はというと、編集の実務はまったくわかっていません。
それでも、何冊かの本が出版されていたのですから、とても不思議です。
僕が担当させられたのは、岩崎さんという親父と同じ歳くらいの契約編集者が任されていた本です。
吉行淳之介、近藤啓太郎、島尾敏雄、三浦朱門、遠藤周作といった、いわゆる「第三の新人」と呼ばれていた作家の人たちが、自分の若き日のことを書いた本の復刻版。
すでに、本があるわけですから、僕の仕事は岩崎さんと一緒に作家の人を訪ねて、出版の承諾を得てくることです。
確か、残り4、5人の作家のOKがとれていなくて、何人かの作家に会いにいきました。自宅を訪ねて話した人もいれば、料亭の入り口で待たされて挨拶も満足にしてくれなかった作家もいました。
旦那さんは了承しているのに、奥さんはNOと言った夫婦の作家もいたなあ……。怖かったなあ、あの女流作家の先生は。
奄美大島にお住いになっていた作家の方には、手紙を書きました。ご丁寧な返信をいただき、感激したのを覚えています。
装丁をお願いしたのは、その前にペップ出版から復刻版として出ていた「悪友記」と同じイラストレーター兼デザイナーの方でした。
記憶があいまいなのですが、この先生にひどく怒られたのだけははっきり覚えています。
確か、出来上がった本を届けに行くことになったとき、社長から「先生が指定したサイズが違っていて、やり直したんだから、それを伝えておいてくれ」とか言われて、あまり深く考えずに、そのまま初対面の先生に伝えてしまったのです。
そうしたら、先生、怒りましたね、いきなり。
僕には事情がわからないのですが、校正を見せてなかったとか、いい加減な出版社だとか、あたかも僕に非があるような言われようでした。訳もなく謝るだけの自分が情けなかった……。
社に戻って社長にありのままを伝えると、今度は社長が怒りだしたのです。こちらに非はない、と。
途中から担当したとはいえ、編集者として関わった初めての本で、何だか前途多難を思わせる展開になってしまい、ずいぶん落ち込んだような気がします。
それでも、この「もうひとつの青春」というタイトルで出版された本は、僕自身の「もうひとつの青春」のスタートとなりました。
この次に編集した本が大ベストセラーになり、素人編集者にもかかわらず、いきなりのHAPPY DAYSが訪れることになったのです。
出版は縁と運がすべて、だと思います。そう思わされたのは、この最初のベストセラー本と出会ったからです。
ノアズブックス 編集長 HIDEO K.
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