三田のキャンパスは遠く、相変わらずストもあり、今思うと、4年間の大学生活は何だったのだろう、と不思議な思いにとらわれます。
同級生と遊ぶより、高校時代の友人やアルバイトで知り合った先輩たちと過ごすことのほうが多い大学の4年間でした。
結局、就職もせず、お金を追いかけ回して、お金に振り回されて、気がつくと、タウン誌の先輩たちの好意に甘えて、アルバイトで取材原稿を書かせてもらいながら、1974年の夏を迎えようとしていました。
そんなとき、親友の小林和行くんから「出版社に就職できるぞ」と電話をもらったのです。
小林くんとは聖光学院の中学、高校でずっと同じバスケットボール部。高校2年になって、彼がキャプテン、僕がマネージャーでした。
小林くんは大学3年の終わりに、あのオフコースに入ったのです。
小田和正さんと鈴木康博さんは、高校時代の2年先輩。その関係から、小林くんが二人に誘われ、オフコースのメンバーになったのです。
そのオフコースの所属していた音楽事務所が、新しく出版社を立ち上げていたのです。その出版社に入れる、と言うのですから、嬉しかったのを覚えています。
7月の初めだったと思います。小林くんに連れられて、原宿駅で降り、千駄ヶ谷小学校の交差点近くにある出版社へ向かいました。
洒落たマンションの2階に、その出版社はありました。
若い社長から「免許証を取ってくるように。営業もやってもらうからね」と言われ、車の運転はあまり好きでなかったのですが、綱島の自動車学校に毎日通い、仮免でスピードオーバーをして一度落ちましたが、1ヶ月で免許を取れたのです。
8月のいつだったか忘れましたが、出版社に入社できました。
小林和行くんには一生、頭が上がりません。出版社の名前は「ペップ出版」です。これが、20代のHAPPY DAYSのスタートでした。
ノアズブックス 編集長 Hideo K.
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