2011年6月17日金曜日

石原裕次郎さんと植木等さん

昨晩、TBSテレビの美空ひばり23回忌特番を見ていたら、石原裕次郎さんと植木等さんのことを思い出しました。
お二人とも僕にとっては、こどもの頃からの憧れの人です。そういえば、ひばりさんの舞台をはじめて観たのは小学生高学年でした。いまはもうありませんが、浅草の国際劇場だったかな。

裕次郎さんにしても、植木さんにしても、たった一度ですが、仕事でお会いしたことがあります。植木さんとはオールナイトニッポンの特番で、裕次郎さんとは雑誌の取材でした。



鶴光さんのオールナイトで、植木さんをゲストに呼んで「これで日本も安心だ」というスペシャル番組を放送したことがありました。
その打ち合わせを赤坂のアマンドで行ないました。ニッポン放送の宮本ディレクターと一緒にお会いしたと思います。

植木さんは「若い人たちにウケるかな」と、しきりに心配していました。大丈夫ですよ、と宮本さんが言っても、例の声で「そうかなあ……」を繰り返すばかりの植木さん。
なんとなく沈みがちな雰囲気を察したのか、植木さんが突然、逆を飛ばしたんです。

僕たちがボー然としていると、「あっ、面白くなかった」と植木さん。正直いうと、ただのおじさんそのもの。でも、本気で心配そうでした。
なんとなく話が弾まないまま、打ち合わせは終了。ところが、本番となると、まったく違っていましたね。もう、植木さんのワンマンショー。さすがだと、なぜか嬉しくてしかたがありませんでした。

もうひとりの石原裕次郎さんとお会いしたのは、「大学マガジン」という雑誌の取材。石原プロモーションにいる知り合いに頼み込んで、何ヶ月もかけてやっとOKをいただきました。
決め手となったのは、僕が慶應大学で後輩だということだけ。このときほど、慶應に行っていて良かったと思ったことはありません。

調布の日活撮影所で、朝早くから待機です。いつ時間が取れるかわからない、ということで。撮影スタジオの外で、じっと待っていました。
待てど暮らせど、お声がかかりません。とうとう昼休み。裕次郎さんは渡哲也さんと一緒に、でっかいキャンピングカーで昼食タイムです。食事終わりで時間が取れそうだ、とスタッフの人に言われました。

ところが、またお声がかからずに、時間がどんどん過ぎていきます。昼休みが残り少なくなったとき、スタッフの人がキャンピングカーの中に声をかけてくれました。
緊張して中へ入っていくと、渡さんと裕次郎さんが向かい合わせで話していました。僕が入っていくのに気づいた渡さんが、パッと立ち上がり「どうぞ、こちらへ」と席を譲ってくれようとしたのです。

このひと言で,緊張がピークに達してしまいました。どこまでも、カッコいい渡哲也さんです。
「自分は出ますから,ここへどうぞ」
まいりましたね、これには。遠慮する僕の横を渡さんが通って,外へ出て行かれました。

「きょうは、大学時代の話をうかがわせていただきたくて……」と言った瞬間,裕次郎さんが「お前も慶應だって。お前のときは……」と言うのです。
このあとのことは、ほとんど覚えていません。ポーッとあがってしまって、何を聞いて,何をしゃべったのか、まったく記憶にないのです。インタビュアー失格もいいところ。

同行した編集者に聞くと,ちゃんと話していたらしい。でも、本人が覚えていないのではなにもなりません。しかも、裕次郎さんは帰り際に、ひと言。
「時間がなくて悪いな。何か聞きたいことあったら,いつでも電話してくれていいよ」
このセリフもまったく記憶にないのです。情けないやら,もったいないやら……。それにしても、持つべきものは頼りになる先輩ですね。

このときのインタビューテープは、どこを探しても見つかりません。たった一度の邂逅。 石原裕次郎さんとはもういちど、盃を酌み交わしたかった、と思います。裕次郎さんのHAPPY DAYSを聞きたかった、できれば歌もいっしょに歌いたかった……。
叶わぬ望みは,思い出を美しくしてくれます。裕次郎さんの「恋の町札幌」を歌いたくなります。裕次郎さんのハワイアンを聴きたくなります。いまでも、憧れの人です。                                         

ノアズブックス編集長 HIDEO K.

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