2011年4月7日木曜日

タウン誌「ドロップイン伊勢佐木」①

編集者らしきことを初めて経験したのは、大学3年生の時でした。
横浜の小さな会社が発行している「ドロップイン伊勢佐木」というタウン誌でアルバイトを募集していて、電話して会社を訪問すると、今でも忘れません、その会社が見つからないのです。

東横線の桜木町(今は東横線の駅はありませんね)で下車。
野毛方面に歩いて行き、競馬の場外馬券売り場(今のWINS)手前の交差点を右折、坂を登りきる手前の右側にある、と言われたのだけど、それらしき建物が見当たりません。

坂を何度も行ったり来たりしていると、肩からカメラをかけた女性が駐車場脇の細い道を入っていったのです。

その女性が向かった10メートルくらい先に、小さな家がありました。なんと、そこがタウン誌を発行している会社だったのです。名前は株式会社エフアールだったと思います。

21歳の僕はしばらく、その場にたたずんでいました。行くべきか、行かざるべきか、と悩んでしまうほど、小さい家だったからです。

それまでしていたアルバイトは、港湾労働者というか、本牧にある埠頭に横付けされた船から、鉄板やコイル、H鋼などを倉庫やトラックへ積みかえる時の作業員でした。
クレーンに合図を送る玉掛けの免許もとり、アルバイトと言えないほどの収入があったのです。

そんな割のいいアルバイトをなぜやめたのか、ということを話せば、そのアルバイトを始めたきっかけから話さなければいけなくなります。これを語りだすと、話がつきません。また機会があれば、ということで。


今度のタウン誌ではその5分の1くらいの金額でした。それでもアルバイトを始めたのは、好きな時に学校へ通っていいよ、という社長の優しい言葉があったからです。

当時、21歳だった僕は、慶應大学法学部法律学科の3年生でした。1年生、2年生のときはほとんどストで休校だったから、港湾労働者のようなアルバイトができたのですが、今度はそうはいかないと思いました。学校へも行かないと卒業できないな、と。

「ドロップイン伊勢佐木」はちょっと横長の判型で、中綴じ32ページの小冊子でした。伊勢佐木町に会社やお店からの広告費でまかなうフリーペーパーです。

僕の仕事は、出来上がったタウン誌を広告を出稿してくれているお店(加盟店)に届けること、加盟店紹介の取材、新規加盟店の開拓、読者ページといったものでした。

それまで取材もしたこともなければ、原稿を書いたことといったら感想文くらいですし、書くことが特に好きでもありませんでした。

今でも覚えているのは、初めて取材に行ったお店です。小山さんというカメラマンの女性に連れられて、テープレコーダとノートを持ち、そのお店に向かいました。

伊勢佐木町5丁目にある「じゃのめや」という老舗のすき焼き屋です。若旦那が取材に応じてくれました。何を聞いたのか、何を書いたのか、まったく覚えていませんが、取材が終わった後、若旦那がごちそうしてくれたすき焼きが美味しかったことだけは記憶の底にあります。

僕が大学生だということを告げると、いつでも食べに来いよ、ととても優しい若旦那でした。まさにHAPPY DAYSとなった初取材。

1971年の春、こうしてタウン誌でありミニコミ誌である「ドロップイン伊勢佐木」で、編集者のようなアルバイトが始まりました。
初取材が掲載された「ドロップイン伊勢佐木」が今、手元にないのが残念ですが、すき焼きを食べると、あの頃の21歳の自分が甦ります。このブログで、この頃のことを少しずつ振り返っていこうと思います。


ノアズブックス 編集長 Hideo K.

1 件のコメント:

  1. 国会図書館に一部だけ貯蔵されています。
    http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000017474/jpn

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