1991年12月、家族を南フランスに残して一人帰国した僕は、フジテレビで秋から始まっていた番組がとても気になりました。「たけし・逸見の平成教育委員会」です。
ビートたけしさんとフジテレビのアナウンサー逸見政孝さんが司会進行を務める番組で、実際の中学入試問題をクイズ形式にした画期的な内容でした。
この番組を本にしようということになり、扶桑社から依頼を受けました。新入社員である光明くんが担当編集者。彼は現在、扶桑社の書籍担当執行役員ですから、いま思い返すと感慨もひとしおです。
この「たけし・逸見の平成教育委員会」は、ほんとうに面白い番組でした。裏番組のTBS「クイズダービー」が終了することになってしまうほどの高視聴率。
有名私立中学の入試問題を大人たちが真剣に考える、という図式が面白く、本作りも楽しみでした。
ところが、いざ原稿に起こしてみると、回答をわかりやく解説するのが意外に難しい。テレビではCGを使ってわかりやすくできても、本ではそれができません。
これには正直言って、困ってしまいました。どうしたら、テレビのようにわかりやすい回答を書けるのか……頭を抱えてしまう問題が多かったのです。
担当編集者の光明くんの的確な指摘もあり、本作りにはとても苦労したのを懐かしく思い出します。
我が母校、聖光学院の問題も出題されていて、その難しさに驚いたものです。同級生の子息が父親の出身校の入試にことごとく敗れ去ったのも納得いくものでした。
1992年7月に発売された「たけし・逸見の平成教育委員会」は、大ベストセラーを記録。
「株式会社梶原」という個人事務所を設立したばかりの僕は、いきなりのベストセラーに嬉しさもひとしおでした。
逸見さんが癌で亡くなり、たけしさんがバイク事故で入院と悲しい出来事があったのも忘れられません。
最終的に3弾までつづいたシリーズ、どれもがベストセラーになりました。本作りに苦労しただけに、思い出の多い本でもあります。
ノアズブックス 編集長 HIDEO.K
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