「かやくごはん」大ヒットのおかげで、鶴光さんとの楽しい付き合いが始まりました。
よく遊んだなあ、一緒に。オールナイトニッポンの日は飲めませんが、何しろ鶴光さんは日曜日の朝6時の新幹線で大阪へ帰ってしまいますからね。
よく遊んだなあ、一緒に。オールナイトニッポンの日は飲めませんが、何しろ鶴光さんは日曜日の朝6時の新幹線で大阪へ帰ってしまいますからね。
本を出してからというもの、オールナイトニッポンに顔を出すようになりました。
鈴木ディレクターとも打ち解けるようになり、何をするわけでもないのに、毎週のように土曜日の夜10時頃にはニッポン放送へ出かけて行きました。
僕が顔を出せば、鶴光さんが番組で本の宣伝をせざるをえない、という読みもありました。
鈴木ディレクターとも打ち解けるようになり、何をするわけでもないのに、毎週のように土曜日の夜10時頃にはニッポン放送へ出かけて行きました。
僕が顔を出せば、鶴光さんが番組で本の宣伝をせざるをえない、という読みもありました。
年が明けた1975年になって、松崎社長から「2冊目を作りなさい」という有無を言わせぬ命令が下ったのです。
同時に、ニッポン放送系列の音楽出版社PMPの及川伸一さんから「鶴光さんのレコードを作るので、2冊目の本と一緒にやりましょう」と嬉しい話をいただきました。
同時に、ニッポン放送系列の音楽出版社PMPの及川伸一さんから「鶴光さんのレコードを作るので、2冊目の本と一緒にやりましょう」と嬉しい話をいただきました。
及川さんは、何年か前までオールナイトニッポンのパーソナリティを務めていました。「ガンバの伸ちゃん」の愛称で親しまれていたのです。
僕と歳が同じだったこともあり、すっかり意気投合。
伸ちゃんとは同じ長島ジャイアンツファンだったこともあり、川崎方面へも一緒に通う仲となっていきました。社会人になってから知り合った親友のひとり。
僕と歳が同じだったこともあり、すっかり意気投合。
伸ちゃんとは同じ長島ジャイアンツファンだったこともあり、川崎方面へも一緒に通う仲となっていきました。社会人になってから知り合った親友のひとり。
さあ、いざ本を作るとなると、半生記は1冊目でやってしまいましたし、何か企画を考えなければいけません。
オールナイトニッポンのコーナーに寄せられたハガキは使ってもいい、と鈴木ディレクターから言われていましたが、それだけでは1冊になるわけもなく、鶴光さんと相談したのかな。伸ちゃんにも相談したのだろうな、きっと。
オールナイトニッポンのコーナーに寄せられたハガキは使ってもいい、と鈴木ディレクターから言われていましたが、それだけでは1冊になるわけもなく、鶴光さんと相談したのかな。伸ちゃんにも相談したのだろうな、きっと。
思いつくままの企画をごちゃまぜにして「鶴光自身」という安易なネーミングで、レコードとも連動して、2冊目の「続かやくごはん」は世に出て行くことになります。
原稿は誰に頼んだのかな。僕も書いたんだと思うけど、覚えているのはパロディの原稿をゴーストライティングしてくれた、いまでは有名な作家。もちろん、名前は言えません。ゴーストライターですからね。
原稿は誰に頼んだのかな。僕も書いたんだと思うけど、覚えているのはパロディの原稿をゴーストライティングしてくれた、いまでは有名な作家。もちろん、名前は言えません。ゴーストライターですからね。
レコードは「うぐいすだにミュージックホール」だったので、本の巻頭は「ストリップ入門」みたいなことをやったように思います。
ストリップなら、高校生時代から通っていましたからね。
横浜黄金町にあるセントラル劇場はよく行きました。童貞のくせに、ストリップ通いする高校生だったのです。
あのロウソクショーで有名な、映画にもなった伝説のストリッパー一条さゆりを船橋の若松劇場で見たのも、印象的な思い出です。
ストリップなら、高校生時代から通っていましたからね。
横浜黄金町にあるセントラル劇場はよく行きました。童貞のくせに、ストリップ通いする高校生だったのです。
あのロウソクショーで有名な、映画にもなった伝説のストリッパー一条さゆりを船橋の若松劇場で見たのも、印象的な思い出です。
この「ストリップ入門」はきっと、僕が書いたんだろうな。
あとは、もう覚えていません。覚えているのは、この本もベストセラーになったこと。売れた部数は忘れましたが、レコードも大ヒットして、伸ちゃんとふたりでHAPPY DAYSを何日も過ごせました。
あとは、もう覚えていません。覚えているのは、この本もベストセラーになったこと。売れた部数は忘れましたが、レコードも大ヒットして、伸ちゃんとふたりでHAPPY DAYSを何日も過ごせました。
鶴光さんともよく飲みいくようになるのは、もう少し後だったかもしれません。
銀座、赤坂、六本木、新宿といろいろな場所で、打ち合わせと称しては会社のお金で飲んでましたね。
吉村達也さんの小説のタイトルのように、まさに「それは経費で落とそう」が許されていたのです。HAPPY DAYSに乾杯!
銀座、赤坂、六本木、新宿といろいろな場所で、打ち合わせと称しては会社のお金で飲んでましたね。
吉村達也さんの小説のタイトルのように、まさに「それは経費で落とそう」が許されていたのです。HAPPY DAYSに乾杯!
ノアズブックス 編集長 HIDEO K.
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