2011年4月8日金曜日

タウン誌「ドロップイン伊勢佐木」②

野毛というのはディープな町で、港湾でアルバイトしていた頃は立ち食いの串カツ屋によく連れていかれました。売っているのは串カツのみ。お酒は店の前にある自動販売機で買ったような記憶があります。

ストリップ劇場も一軒あったけど、黄金町の「横浜セントラル」のような過激なものではなかったので、いつも空いていました。

ゲイバーもあったし、ジャズ喫茶、洋食屋、ラーメン屋(初めてラーメンを食べた店)、怪しげな店、怖そうな店などなど、選り取りみどりで何でも揃っていました。

そんな野毛に会社があったものだから、大学生のくせに行きつけの居酒屋ができたのです。

看板も暖簾も出ていない、一軒家の居酒屋と言えば、飲んべえの浜っ子なら知らない人はいないでしょう。そうです、あの「武蔵屋」です。

このお店には本当にお世話になりました。学校へ行かなくていい日は、ほとんど通っていたほどです。お店は、おじいちゃんと2人のおばさんでやっていたと思います。


このお店の特徴は、お酒はビールと日本酒だったと思いますが、1人3杯までしか飲ませてもらえないところです。そのつど、おつまみが付いてきます。

1杯目を頼むと、おからと酢漬けのタマネギ、湯豆腐(鱈が入っていたような)、2杯目には納豆、ラストの3杯目にはお新香というお酒3杯と料理がセットになっていました。

料金がいくらだったか、正確なところは忘れてしまいましたが、ものすごく安かったのを覚えています。

ここで飲んで、キャバレーハワイに7時までに入る、というのが奨学金が入った日の定番でした。ハワイが1時間1,980円だったような気がするので、2人で3,960円。1ヶ月の奨学金が7,500円、武蔵屋からハワイのコースでおつりがきたのだから、おそらく武蔵屋は1人1,500円以下だったはずです。

今思うと、ひどい学生ですね。奨学金を一晩で飲んじゃうんですから。ほんと、バカですよね。


なぜ、奨学金を飲み代に使えたのでしょうかーー今思い返しても不思議なんですけど、港湾労働者のアルバイト代(1年半くらいやったのかな)で2年、3年の授業料が払えただけでなく、少ないけど貯金までできていたのです。

タウン誌のアルバイト代は少ないけど、毎月の定期収入ですし、家は金持ちではありませんでしたが、けっこう遊び歩くお金を持っている不良(?)青年でした。

そのときには港湾のアルバイトを始めるきっかけとなった彼女とは別れていましたし、実家から通っていたので、アルバイト代はすべて飲み代に消えていたのです。


大学を卒業して東京で働くようになってからも、数年間は高校時代の友人と「武蔵屋」によく通っていました。出版社の仕事が忙しくなって足が遠のいてしまいましたが、お店は今でも開いていると聞きます。
還暦を過ぎた悪友たちと同窓会をしよう、と思っています。

タウン誌「ドロップイン伊勢佐木」でアルバイトをしていた1年間は、まさにHAPPY DAYSの青春でした。

あの「武蔵屋」で一緒に飲んだ友と先輩たち、もう連絡がつかなくなった人たちも多いけど、いつか集いたいな、と懐かしく思い出されます。そういえば、赤塚社長、永井編集長、デザイナーの杉本さん、カメラマンの小山さん、そしてアルバイトの僕、この5人のスタッフで作っていたんですね、あのタウン誌は。

HAPPY DAYSをもたらしてくれた人たちに感謝です。この経験がなかったら、おそらく編集者の道に進まなかったと思います。


ノアズブックス 編集長 Hideo K.

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