2011年7月1日金曜日

アミューズブックスに社名変更

1997年7月、出版社設立から1年半で、社名変更をしました。藝神出版社ではアミューズということが伝わらない、と判断したからです。
やはり、アミューズの出版社という打ち出しを強くした方がいいだろう、と。

社長業と編集者の二足のわらじをはいていましたが、自分で出版社の社長を経験してみると、社長としての仕事は資金繰りと人脈作りにつきると実感しました。
編集業務ばかりしていたのでは、会社の運営がうまくいかなくなると感じました。企画を決めたら、編集者に業務を移行。確かに、そうなのでしょうが……。

出版社の社長は、本が売れなければあまり面白みのあるものではありません。ひと言でいうと、これが結論です。

社名変更した1997年で、僕は48歳を迎えました。まだまだ、編集者として本作りができる歳です。
ところが、本作りに没頭できないジレンマを感じていました。理由はいろいろあるのですが、それを書いたところで意味がないでしょう。自分自身の問題でした。

アミューズブックスは、親会社であるアミューズの株式上場に伴い、 2003年3月に会社を清算することになりました。藝神出版社の設立から7年間での業務終了。
出版状況が思わしくなかったからといって、ベストセラーを連発できていれば解散せずにすんだかもしれません。確かに、その通りだと思います。

いま、アミューズブックスのことを振り返ると、反省と後悔の連続になりそうです。それは面白くも何ともありません。
自分で企画して作った本のことを書いていくことにします。出会った人たちのことも。

アミューズという会社は、上場する前と後では違う顔を持つようになっていきました。これは仕方のないことですが……。
ものを作るクリエイティブなところを伸ばすことが難しくなり、すべてが予算管理されていきました。これは当然のことなのですが……。

アミューズは温かくて、家族的なよさを残したカンパニーでした。大里会長をはじめ、多くの人たちに温かく接していただいたことは、一生忘れることはないでしょう。
その良さが、僕が出版社の精算業務をしながら、アミューズに在籍しているときはまだ残っていました。大病を患った僕を優しく包んでくれたことは、一生忘れることはないでしょう。

アミューズブックスのことを思うとき、懐かしさより悔しさが募るのは、どうしても自分の力不足を実感してしまうからです。出版社の経営は難しかった、と。
もうやめにしましょう。HAPPY DAYSから、どんどん遠ざかってしまいます。終わったことでイヤなことは、心に留めておけばいい、と思っています。

ノアズブックス 編集長  HIDEO K.

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